武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 (新潮新書)
著:磯田道史
世の中には、お金を貯められる人と、なかなか貯金できない人がいて、残念なことにぼくは後者の人間だ。(収入が低いという問題はここではひとまず置いておくとして)、旅行も滅多にいかないし、ブランド品は買わないし、ギャンブルはしないし、タバコは4年前に止めたし、家電やPC周辺機器を買うときは「価格.com」を利用しているし、話題の小説も文庫化されてようやく読む気になるし、それほど贅沢しているつもりはないのに、なぜかお金が貯まらない。
今年の5月に新居に引っ越してきて、家計が嫁とひとつになった。
ここで嫁がとったのは、典型的な「貯金ができるタイプ」の行動パターンである。早速、近所にいくつかあるスーパーやドラッグストア、99ショップを交互に行き来し、あらゆる日用品の底値や、食料品における品質と価格の相関関係、セールのタイミング、ポイント3倍デーの曜日などを頭にインプットしはじめた。さらに、電気や水の使い方にも目を光らせ、2LDKにも関わらず、ぼくがワンルームで一人暮らしをしていた時よりも光熱費が安くなってしまった。大根や人参の葉っぱだって、捨てずに香味料と一緒に炒めてフリカケを作ってしまう。
この逞しい生活力の発動に(これは見事。家計も安心)と胸を撫で下ろしつつ、ぼくは「自分ももう少し、お金の使い方に対してシビアになろう」と決意した。そんな矢先に出会ったのが、この本だ。
優れた事務処理能力と実直さで「加賀藩御算用者」として取りたてられ、出世していった猪山家。家風ともいえる並はずれた几帳面さが、「饅頭一つ買っても記録した帳面が三十六年分」という貴重な資料を現代に遺した。(武士って、家計簿なんてつけなさそうなイメージがあるし、実際そんな資料はほとんど遺っていないらしい)。
その資料を丹念に読み解いて、当時の武士の暮らしぶりや家族一人ひとりの表情までが活き活きと立ち上がってくるような読み物にまとめたこの一冊。新書だけど、家族ドラマとして読んでもおもしろい。堅実さが取り柄ともいえる猪山家の人々が、幕末から明治にかけての激動の時代をどう乗り越えていったのか。
最近映画化もされたので、ぜひ観てみたい。金券ショップで割引チケットを買うか、映画1000円デーを狙って観に行こうかな、堅実に。
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破獄 (新潮文庫)
著;吉村昭
携帯電話普及前夜のポケベル全盛期。高校生たちは休み時間になると公衆電話に長蛇の列をつくり、わずかな小遣いをはたいてテレホンカードを買い漁り、貴重なテレカの度数を少しでも減らさぬよう、プッシュボタンを押すスピードと精度に日々磨きをかけていた。
高校1年生のぼくもその例に漏れず、「おはよう」=「15618513」などと、日常の言葉を片っ端からダイヤル番号に置き換えていた。
そんなポケベルライフにも、ひとつネックがあった。下宿の門限である。
下宿には、ぼくたちが自由に使える電話はなく、「ベルを打つ」ためには、近くの公園の公衆電話まで行かなければならなかった。しかし、門限は9時で、それ以降は出入り口のシャッターが閉められてしまう。
「即レス症候群」という言葉もあるようだけど、夜友達から来たメッセージを翌朝まで返信せずに放置しておく、という芸当は、高校生にはなかなかできない。特に、メッセージのやり取りが深夜であればあるほど、友達との親密性が増す気がして、「早く返信しなければ」という焦燥感に駆られてしまうのだ。
そこで、夜下宿を抜け出して、公衆電話をめざすことになる。
シャッターは古く、錆び付いていて重く、開けようとすると、大きな音が響いた。なるべくそっと指をかけ、じわっ、じわっ、と持ち上げていった。わずかに隙間が開いたところで止め、体を折り畳みながら外に這い出した。
いま思うと、友達にベルを打つこと自体よりも、下宿をこっそり抜け出すというスリルの方を楽しんでいたのかもしれない。みつかって何度も怒られたけれど。
下宿をちょっと抜け出すのでさえスリルと開放感を味わえるのだから、刑務所を脱走する痛快さはいかばかりだろう。
その気分を、4度も味わった男がいる。
「破獄」は、4つの刑務所から脱走を果たした伝説の脱獄王をモデルにした小説だ。周到な準備と人間離れした能力で次々と脱走劇を繰り広げる主人公に、こんな人物が日本に実在したのかと衝撃を受けずにいられない。
しかし、時代は第二次世界大戦下。空襲や食糧難が庶民の生活をめちゃくちゃにし、塀の内も外もたいして違わないのでは、とも思えてきて、やるせない。
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お寺の経済学 (ちくま文庫)
著:中島隆信
高校生の頃、ファミレスの厨房でアルバイトをしていた。バイトの先輩には県外出身の大学生もいて、当時はやたらお兄さんお姉さんに見えたものだ。そんな中のひとり、関東からはるばる高知の大学に進学したという先輩が、あるとき言った言葉が、ぼくに衝撃を与えた。
「都会には、100メートルおきくらいにコンビニがあるんだよ」。
ショックだった。田舎の高校生だと思って、人のことをからかっているんじゃないか、とさえ思った。高知県にはまだローソンもセブンイレブンもファミリーマートもない頃のことだ。元酒屋の家族が経営する「モンマート」という23時閉店のコンビニエンスストアが、ぼくのほっとステーションだった頃のことだ。
大阪市で、信号機の数と張り合うほどのコンビニエンスストアを目の当たりするのは、その2年後のこと。驚いたぼくは「ほんまや。コンビニだらけやん」と、慣れない関西弁を無理に使ってつぶやいたとかそうでないとか。
今、記憶を頼りに数えてみると、会社から徒歩5分圏内に約7軒、自宅から徒歩5分圏内に約4軒のコンビニが営業している。なぜこんなにもコンビニが必要なのか、と田舎者の感覚を捨て切れずに思う。
さて、ここで問題。
ある所にはたくさんあるコンビニだけど、日本全国のコンビニの数とお寺の数、どちらが多いだろうか。
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〈ヒント〉
ちなみに、
コンビニの数は
全国で約4万店。
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正解はお寺。
なんと全国に約7万5千。
お寺は、超巨大なマーケットなのだ。
そのうえ、宗教法人には税金がかからないそうだし、お布施にはメーカー希望小売価格のようなはっきりとした基準がないため、そこには何やらブラックなイメージさえ漂っている。
しかし、この本は、そうした宗教界のタブーにメスを入れていく、というよりも、お寺をとりまく環境やこれからの課題を、経済学者の視点からまじめにまとめた一冊。
仏教の基本的な考え方や歴史についても触れられていて、仏教とは基本的に「現世へのこだわりを捨てるための教え」なのだそうだ。
週刊誌の読者的下世話な好奇心に駆られてこの本を手にとったぼくは、まだまだ修行が足りないということか。
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